はじめに
往生院は、新潟市中央区西堀通り十一番町にありますが、西堀通り十番町との交差点十字路から若干西北に分かれる形で参道が続いています。
この支点には、浄土宗往生院との石柱があり、この参道入口には、遠くからも拝観できる立派な青銅製で半跏踏下像の地蔵尊が鎮座しています。
きれいに整備された長い参道に入ると正面に見えるのは、美しい鴟尾(とびお)を頂いた和様建築の堂々とした本堂があります。
当山は、法然が開祖の浄土宗総本山、京都知恩院の末寺であります。
正式名称は、山号を決定山、院号を往生院、そして寺号を安養寺といいます。
しかし、常には院号の往生院を寺院名としています。これは浄土思想に基づく往生を意味する奥深い寺院名であります。
開基は慶長三年(1598)、江戸時代の初期、正蓮社覚呑竹によってなされました。
開かれた寺院をめざして
子供食堂や地域のお茶の間事業に参加させていただくことによりお寺として求められている本来あるべき「寄り添う姿」を再認識いたしました。
ふとした時に「自分は本当にこれで良いのだろうか」と思い悩む事があります。
誰にでも心の深くで願っている何かがあります。
大切な亡き人と心を通わせることにより自分をみつめなおす心を育む。
お墓参りを通して「あるがままの自分を受け入れ」命のルーツを見つめ直す大切な時間を共に築き上げていきましょう。
多様化する現代社会においてお墓も多様化しています。
いずれにしてもお墓には万物の相である地水火風空の「五大(ごだい)」や塚の意味があり、先祖や故人に会える「場所」であります。
「ご縁」で繋がる皆様の「人生最後のより所」としてあり続けたいと願っております。
どんな悩みでもお気軽にお越しいただきお聞かせください。
お待ち申し上げます。
合掌
樹木葬 さくらの碑
樹木葬 お問い合わせ
往生院 アクセス
電話025-223-5481
浄土宗について
〔意訳〕月の光と同様、阿弥陀様の慈悲の光は常に私たちを平等に照らしてくださって届かないところは無いけれどもこの御心に気づかなければお救いいただくことはかないませんそして、その御心に気づきお念仏をお称えしたときこそ私たちは阿弥陀様よりお救いいただけるのです
法然上人と善導大師
浄土宗の高祖
善導大師(ぜんどうだいし)613年~681年)中国の浄土教の大成者。浄土教の五祖で、山東省出身、終南大師とも呼ばれました。日本の浄土宗の開祖、法然上人が師と仰ぎました。善導大師は中世日本の法然上人・親鸞聖人に多大な影響を与えました。
浄土宗の開祖
法然上人(ほうねんしょうにん)(1133年~1212年)法然上人は平安時代の長承二年(1133年)、岡山県の美作(みさか)に生まれました。幼名は勢至丸といいました。九歳の時(1141年)の春、父漆間時国は夜討ちに遭って死去。
父は「敵を恨んではいけない、私を想うなら俗世を離れて菩提を弔ってほしい」と遺言をした。法然上人はこれを請け九才にして出家、十五才で母を残し比叡山に登り、勉学に、修行に励んだ。その間に読破した経巻は数千巻。
これを読み学んでいる中で、四十三才の時に中国の浄土経の高僧善導大師の「感無量寿経疏」を知り、この中の一文で「散善義」に、「南無阿弥陀仏」の一言を称えることによって、必ず往生できることを知ったのであります。これが、法然上人の所謂「専修念仏」であります。
往生院 歴代住職
[歴代住職]
明治十三年(1880)8月7日の新潟大火で新潟町の6割以上が焼失したという。この耐火で、当山も焼失、寺宝から古文書等すべてを失った。
しかも当時は住職も世襲ではなく代替わりする等、継続性に不完全な部分も想定され、古記録はなく、現在明らかなのは、以下の通りである。
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〒951-8061新潟市中央区西堀通十一番町2874番地電話 025-223-5481
浄土宗決定山 往生院